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イベントレポート

 熊野古道センターにてこれまで開催してきた各種イベントの様子をご紹介します。

平成20年4月5日(日)新しい古道の歩き方「民話の里巡り 赤倉 ~カシノト道を歩く~

2008年04月05日

大丹倉からの絶景
 3月30日開催予定だった本ツアーは、雨のために4月5日に延期となり、晴天の下開催されました。熊野市の山里「赤倉」の民話の舞台となった名所や史跡を巡った第1回(平成19年12月)に続き、第2回の今回は「道」とその沿道に伝わる「民話」をテーマに、木々や草花の春の芽吹きを楽しみながらかつての街道を歩きました。
 熊野市街地から、昭和30年代に開通した県道を30分ほど走らせると、山間の静かな集落「赤倉」があります。この県道が開通するまで赤倉への道のりは、峠を越え、谷を下り、古の人々が一つ一つ固めた細い石畳を踏みしめる道だけだったのです。中世に設置された関所跡もあることから、古くから北山・本宮方面への主要な街道の一つだったことが分かっています。
 今回は、かつて赤倉に22年間も住み、分校で教鞭をとっておられた現熊野文化協会会長の庄司功先生と、赤倉育ちで現在はアマゴ養殖場を営んでおられる中平孝之さんの案内で、一の水峠を越えるルートの一部と、丹倉→尾川へ下る「カシノト道」を歩きました。
 林道から登り始め、苔むした石畳道をところどころの区間で確認しながら、1時間弱で一の水峠へ到着。ここでは、「髪梳地蔵」と呼ばれるお地蔵様が熊野市瀬戸の集落を見守っています。
一の水峠の「髪梳地蔵」 甦った道









 <一の水峠の髪梳き地蔵に伝わるお話>
『昔、瀬戸の青年と池川の娘が、一の水峠で度々会っていました。ある日、青年が村の山刈りで遅くなり、峠で待っていた娘は木に登って青年を待ちました。娘が髪を梳くために櫛を口へくわえたところに、鉄砲撃ちが通りかかりました。ふと木の上を見ると妖怪!と思い撃ってしまう、それが娘でした。哀れに思った瀬戸と池川の村人は、そこに地蔵を建てたといいます。』

 今はもみじの古木が一本、お地蔵様をお守りするかのように立っていますが、秋になるとこのもみじは、娘の血のように真っ赤に染まるのだろうか・・・なぁんてちょっと怖い想像を掻き立てた方もおりましたが、大丈夫。日当たりもよく気持ちのいい峠でした。
 峠から石畳を下ると、美味しい沸水が旅人の喉を潤したという場所にある「水呑地蔵」と、文化12年(1815)に赤倉から一の水峠までおよそ1300mの道の道普請をしたときに記念に建てられた供養塔が残っています。
 お昼前に赤倉の童集乃村「あまご屋」に到着し、座談会。庄司先生は、昔の赤倉や、山道を越えて遠足へ出かけた時の様子などを語ってくださいました。こげ茶色に柱や梁が燻された「あまご屋」の建物は中平さんの生家です。現在は厨房になっているところは元牛小屋で、「牛は家族だったからね。」と懐かしそう。窓の外は、春の風が通りすぎる碧い山々。ゆるりゆったりと参加者の皆さんの様々な記憶や体験も呼び起こされる、そんな座談会でした。
赤倉の桜 水車の前で集合写真









 お昼、朝まで近くの清流を泳いでいたアマゴの塩焼きと、アマゴ御飯をいただいたあとは、赤倉から丹倉までの名所(第1回で紹介した民話に出てくる大岩・タツ島、天狗鍛冶屋敷跡などがある大丹倉からの絶景)を訪れ、丹倉から尾川までの道「カシノト道」を下りました。
 ここからは普段見ることができない角度から大丹倉を眺め、その名の由来ともなっている赤い岩肌を堪能しました。(“丹”は赤の意味)道は、断崖絶壁のような場所もあり、そのためにいたるところで側面は石垣で固められ、小川には何本も橋がかけられています。通学路でもあったということですが、本当によくもこんな場所に道を作ったなと感心せずにはいられません。
赤い岩肌の大丹倉 石垣が見事なカシノト道









 カシノト道を下って到着した尾川の集落では西光寺を訪ね、熊野市指定有形民俗文化財に指定されている「観心十界図」の絵解きをご住職と地元の方のご好意で特別に聞かせていただきました。この「観心十界図」は安政7年(1860)のもので、大きさは縦1m32cm、横1m15cm。心の文字を中心にして放射状に区分し、上部中央に釈迦如来があり、下部には閻魔王や地獄絵図が描かれています。心の持ち方により人間は天国へも、地獄へも行くのだということを、多くの例を絵であらわして伝えようとしたものだということです。
色鮮やかに地獄が描かれた観心十界図
 海沿いの町へ秋刀魚を買いに、狼の出没を恐れながらいくつもの峠を越えた人々。沿道の湧き水に喉の渇きを潤し、お地蔵様に手を合わせ旅の無事を祈った人々。そしてその道を歩いた彼らが、様々な想いを巡らせたであろう「観心十界図」。時代を超えて守れてきた道は埋もれそうになりながらも、「道」として今も生き続けていることを実感した一日でした。
 今回のツアー実施にあたって、伐採後の材木で峠付近の通行が不可能となっていたのを、地元・当センター関係者からの有志により整備し、道を甦らせました。ご協力いただいた皆様に心から感謝いたします。

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