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イベントレポート

 熊野古道センターにてこれまで開催してきた各種イベントの様子をご紹介します。

平成20年12月8日(日)新しい古道の歩き方「杉葉の道と、線香車を訪ねる」

2008年12月07日

八丁坂峠越えの道
 「線香車」とは、杉葉線香の材料となる杉葉粉を製粉する水車のことです。冬の澄みきった青空の中、かつて女性達が杉葉を集めて歩いた道「八丁坂」を歩き、熊野市新鹿町に残っている「線香車“湊の車”」を訪ねました!
 開催中の企画展「熊野杉葉線香ものがたり」の付属企画として、その遺構を実際に訪ねるためのウォーキングツアーに行ってきました!案内役は、水車小屋“湊の車”を代々所有してきた鈴木家当代・鈴木祥嗣さんと、当時住み込みの管理人だった方のご子息・山本義之さんです。鈴木さんは家業の林業を営むとともに、エコツーリズムガイドとしても活躍されています。山本さんは、はるばる名古屋から駆けつけてくださいました。
 熊野の郷土史研究家・故 平八州史氏の著書『新くまの風土記』に、「八丁坂峠、標高499米、その昔、神武天皇が大和討入りの際、ヤタガラスのお導きでお越えになったという伝説の古道である。」と述べられています。「八丁坂」は、藩政時代には海の集落と山の集落とをつなぐ要路として、飛鳥方面からは材木が、新鹿方面からは魚や塩が、背負い運搬や女性による頭上運搬(イタダキ)で運ばれた道です。伝説とともに古くから多くの人が行交ったこの歴史の道を歩き、飛鳥町側から新鹿町を目指しました。

 スタート地点は、八丁坂トンネル西側。車道を外れ静かな杉林に入っていくと、車輪の轍跡がくっきりと残った石畳がところどころに見られました。明治22年、牛馬車が通れるよう巾員2.5mに改修されてからたくさんの大八車が行交っていた名残です。こうした人の往来は昭和40年代まで見られたそうで、杉葉線香の原料として、杉葉粉をつくるために集めた杉葉を運ぶ女性たちもまたこの道を通りました。水車小屋には大きな竿秤があり、目方を量って相応の賃金が支払われたのですが、杉葉を集める権利は、山で働く人の奥さんが持っていることが多かったそうです。
 鈴木さんや山本さんも子どもの頃にこの道を歩いたことがあるそうで、昔の様子を思い出し語りながら歩いていただきました。

 2時間弱で、車道に出ました。平成11年に開通した1055mの八丁坂トンネルのちょうど東側です。旧道はさらに少し車道を下ったところからまた山に入ります。ここも石畳がところどころに残り、崖部分は立派な石垣で今もしっかり道が守られていました。

美しい新鹿浦 白砂が眩しい新鹿海岸で昼食(熊野名産のめはり寿司&秋刀魚寿司弁当!)をとったあと、いよいよ“湊の車”へ。
 湊川の水で回っていた“湊の車”には、直径5.49mの水車を中心にして両側に計24個(竪杵12本、横杵12本)の臼があり、水車につながった水車軸が回って順番に杵を持ち上げることで杉葉を製粉する仕組みです。鈴木さんのもとに残る資料には、安政6年(1859年)創業と記されており、昭和43年頃まで杉葉粉生産が続けられていました。線香用の杉葉粉を製粉する水車小屋としては、現在、県内で唯一その姿をとどめる貴重な遺構で、当時としても県内随一の規模だったと思われます。
 直径5.49mの水車を見ると一同「おぉぉぉ~」と驚嘆の声を上げました。朽ちかけてはいても、これが回っていたところを想像すると、まるで生き物のように見えてきます。今は長い働きを終えて静かに眠り、土に還るのを待っている、そんな感じでした。これを365日24時間回し続ける豊富な水量があったということにも驚かされますが、1kmにもなる水路を維持することが大変な苦労だった、と山本さんは振り返っていました。
 
県内唯一のこる線香水車小屋 水車小屋内部に入ると、12本の竪杵と12本の横杵の重量感に圧倒され、粉を選り分けるための篩や、荒く裁断するためのカッターなどの仕組みを見て、これだけのものが水の力で動き続けていたことにみなさん驚きを隠せない様子でした。
 集められた杉の枝葉で製粉用に使うのは先端部分だけなので、太めの枝は残ります。その枝は薪として利用し、お風呂は一日も欠かさずに沸かしました。そのため、近隣の人々が「風呂に入れさせてくれ!」と毎日のように訪ねてきたそうです。また、製粉後に篩で選り分けて残った粗いカスは、再度臼に戻すほか蚊遣り火を起こすのに使ったそうで、これも近隣の人々が牛舎の前で焚くためにもらいに来たそうです。このように、杉の枝葉は余すところ無く利用され、一つの産業が里人の暮らしにもたらしていた恩恵の大きさ・広さを知ることができました。
 

null このような線香水車小屋が、東紀州には多いときで30箇所以上もあり、杉葉粉は線香産業が盛んな淡路や名古屋などの商業都市、または線香づくり専門の業者に出荷されましたが、現在、東紀州ではこの“湊の車”が当時の面影を伝えているのみです。鈴木さんと山本さんは、このような水車小屋1軒で里全体が大変潤った時代が確かにあったこと(新鹿は杉葉粉づくりが盛んだったので4軒ありました。)、そして熊野古道が世界遺産に登録された今、目先のことだけでなくこの土地全体に目を向けて何ができるのかを考え なければいけない、と伝えてくださいました。
 
直径5.49mの“湊の車” 企画展「熊野杉葉線香ものがたり」は平成21年1月12日(祝)まで開催しています。この機会に、熊野の里人が育んできた究極のエコ産業・杉葉線香産業を少しでも多くの方に知っていただければ幸いです。

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