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イベントレポート

 熊野古道センターにてこれまで開催してきた各種イベントの様子をご紹介します。

平成30年12月16日(日)講演会「西国第一の難所八鬼山道を紐解く」を開催しました!!

2019年01月02日

null 三重県教育委員会事務局社会教育・文化財保護課有形文化財班班長の伊藤裕偉さんに、「八鬼山に刻まれた中世の刻印」をテーマにご講演いただきました。
 紀伊半島東部の熊野灘沿岸部には、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部を構成する「熊野参詣道伊勢路」が通っています。このうち、今の三重県尾鷲市街地南部に聳える八鬼山を越える道を「八鬼山道」といい、西国三十三所巡礼が盛んであった近世には「西国第一の難所」と呼ばれていました。
 この八鬼山道沿いには「町石(ちょうせき)」と呼ばれる石造物があります。地蔵菩薩立像を刻むこの石造物は、16世紀末頃に伊勢志摩方面から運ばれてきました。そこには記年銘のほか、地名や造立者名が刻まれています。
 町石の造立者は、伊勢神宮御師や山田に住まう地下人などですが、これらをよく観察すると、造立者の性格や傾向が見えてきます。
 また、八鬼山道には清順上人供養塔や三宝荒神像など、様々な石造物があります。さらに、尾鷲平野部や天狗倉山にも特徴的な石造物があります。
 八鬼山道に造立された石造物は、尾鷲地内の状況全体を見ることで、その意味を紐解いていくことができます。
講演会の様子 今回は、八鬼山道の町石について2006年より調査を続ける伊藤裕偉さんを講師に迎え、これまでの調査から見えてくる八鬼山道の町石が持つ歴史的な意義についてご講演いただきました。この講演会は、八鬼山道の町石について知り、それが造立された尾鷲という地域そのものの位置づけについても考えていただくことを目的に開催しました。
 熊野古道伊勢路において、道は巡礼道の前に生活の道でした。山の中腹辺りを通る峠をいくつも越え道がつながっていきます。しかし、この伊勢路で唯一山頂を通るのが八鬼山道です。そして、道標の役割をもつ町石が置かれたのも八鬼山道だけです。それは、人々をわざわざ山頂へと誘うために置かれたと考えられています。しかし、50基あるはずの町石のうち現存するのは35基で、残りの15基がどこにあるのか、いまだに調査は続いています。これらの町石は、天正14年~19年に造立された地蔵尊で、石質は当地方にはない緑色岩や結晶片岩を用いており、建立者は伊勢山田の御師などであることが、左右に刻まれた銘から読み取ることができます。また、これらの造立時期が、天正13年の両宮式年遷宮の直後であることから、両宮遷宮の挙行を山田地下人の関与がうかがえます。このように、八鬼山道は、生活の道、参詣に道、修験の道など複数の要素が重層的にみられる道といえます。単なる通過点ではない要素が八鬼山には備わっていると伊藤さんは考えます。
 伊藤さんは、八鬼山道周辺の石造物について10年以上調査をされてこられましたが、まだまだ謎がたくさん残っていると話されたのが印象的でした。新たな発見があるたびに、これまでの仮説は当てはまらなくなり謎が深まるということでした。だからこそ、八鬼山道の調査は始まったばかりなのだそうです。なるほど。
 例えば、八鬼山道の町石に関してはこれまで北側でしか確認されていなかったのですが、2015年に南側でも一部が発見されました。これまで町石は山頂へと人々を誘うために置かれたのではないかと考えられてきましたが、山頂から先で発見されたことで、さらなる調査が必要になってきたそうです。う~ん、謎は深まるばかりです。
 また、尾鷲市内に点在する石造物の位置関係から、修験の要素を見出し、尾鷲市内を含む一帯が修験の霊場であったのではないかという仮説を立てられていることも興味深いところでした。
 当センターでは、今後も伊藤さんたちの調査の行方を追っていきたいと思います。八鬼山道を歩いていて、まだ見つかっていない町石を発見した方は、熊野古道センターへお知らせください。ただ、熊野古道沿いの調査は終わっているため、発見できるとしても山の中でしょう。単独での行動は危険ですのでお控えください。

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