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イベントレポート

 熊野古道センターにてこれまで開催してきた各種イベントの様子をご紹介します。

平成19年12月1日(日) 民話の里巡り「赤倉」~奥熊野に棲まう、龍と蛙に出会う旅~ を開催しました

2007年12月01日

天狗が棲んだといわれる大丹倉で記念写真
 師走に入ったばかりの赤倉は、少し遅めの紅葉で彩られていました。
携帯電話のアンテナは一本も立っていません。ここは、あの電子音に邪魔されることなく、川のせせらぎと風の音だけを聞くことができる場所です。この地はかつて伊勢路の主要道のひとつで、赤倉・丹倉(にぐら)を経て、本宮や北山へと通ずる用路でもありました。この小さな山里に伝わる民話の舞台となった大絶壁「大丹倉」や、「雨滝」などの名所を巡りました。
 熊野市内から山中を車で走ること30分、トンネルを越え、朝霧に包まれた山里・赤倉(熊野市育生町)に到着しました。ご案内してくださるのは、赤倉でアマゴ養殖場を営む赤倉生まれの中平孝之さんです。
 スタッフの車に乗り合わせて、まずはこの地域で最も古い形態の神社・丹倉神社(あかぐらじんじゃ)を訪れました。社殿はなく、ご神体は注連縄が張られている巨岩で、かつてお参りの際には両村から神社までの道のりにある「潮掛場」と呼ばれる水垢離の場で必ず身を清めたそうです。また、車道ができる前は神社の下に街道があり、周辺には田んぼもありました。
今も清らかな水を湛える潮掛場 ご神体の巨岩とご神木が変わらずに佇む








 次に、丹倉へ向かう途中にある、中世から天正時代頃に使われたといわれる穴山関所跡に立ち寄りました。伊勢路は、熊野市有馬にて浜街道と本宮道に分かれ、横垣峠、風伝峠を越えて熊野川を渡り本宮に至りますが、熊野市から一の水峠を越えて赤倉・丹倉を経て北山に出るルートも本宮方面への主要道のひとつだったのです。穴山関所跡はこの巨岩の麓(現車道より少し下)にあったとされ、関所の存在は相当の通行量があったことをうかがわせます。また、関所をすり抜けようとする者もこのような大岩を越えることは難しかったであろうし、然るべき場所に建てられていたのだろうとのこと。一同、しばしかつての街道を偲びます。
この巨岩の麓に関所があった その後、大丹倉入り口へ。ここには、矢の根鍛冶の技術に優れた山伏が行をしながら住み着き、天狗鍛冶と呼ばれていました。そして、今はその屋敷跡が残っています。大丹倉は高さ200m、幅500mに及ぶ大絶壁。大丹倉の“丹”は赤色の意味で、岩に含まれる鉄分が参加して岸壁は赤い色をしています。300年ほど前にも、大丹倉の中腹にある十畳程の石畳である行者が三十年も行をし、ご神体の前に刀を埋めて去ったといわれています。今も残る苔むした自然石がそのご神体で、高倉剣大明神が祀られています。
 そしていよいよ表丹倉ウォークへ出発。30分ほど山道を歩く途中に田んぼの石垣跡が見られ、このような山の頂上付近にまで田んぼがあったことに驚かされます。昔は年貢を逃れるために、大変な苦労をしてこのような山奥に田畑を拓いたそうです。
高倉剣大明神 しばらく林道を歩き雑木林へ














 大きな崖のドン突きに広がる、絶景。奥熊野の深い緑に赤や黄色のコントラストが美しい。表丹倉から見下ろす粉所や尾川などの育生町の集落が、波のように続く山々に延々と囲まれているのが分かります。
 この近辺に今も一人で住んでいるお婆さんも訪ねました。「寂しくないですか?」との問いかけに、「庚申様がいらっしゃるので大丈夫です。」とおっしゃっていました。
天狗はこの空を飛んだのかな? 村人の心の支えであり続けた庚申様








 いよいよ、民話の主人公・タツ島のもとへ。タツ島は、不思議な形をした大きな奇岩でした。岩に生えたウバメガシの立派なたてがみをはやし、口をぱっくりと開けた大きな龍のようです。そしてここからビキ島を遠望。山の向こうに、大蛙の背中(?)が見えます。
ビキ島に向かって吠えるかのようなタツ島 ビキ島は背を向けて知らんぷり!?








 『むかしむかし、赤倉にタツ島という大きな龍が住んでいて、このあたりの大将でした。また、向かいの山上にはビキ島という大きなヒキガイルが住んでいて同じくそのあたりの大将でした。ある時、タツ島は、ビキ島が自分に尻をむけているといって怒り出しました・・・。(タツ島とビキ島)』

 お昼御飯は、中平さんの育てたアマゴ(アメノウオ)を、古民家を改築したアマゴ料理屋の「あまご屋」で頂きました。アマゴの塩焼きと、アマゴ御飯にお味噌汁。素朴な山郷の味が、山の空気に程よく馴染んだ体に染み渡ります。昼食後はゆっくりとお茶を飲みながら、花尻当センター長と清水当NPO幹事による、赤倉の民話や歴史についての談話を聞きました。
落ち着く古民家の佇まい ほんとうに美味しい山の恵み
民話を語り継ぐ
 次は県道を少し下り、大丹倉の大絶壁を下から眺めたあと、次の民話の舞台である雨滝へ。雨滝は、高さ約45m。日照りが続くとお寺の鐘を滝壺に浸けて祈祷した雨乞いの地で、ここに伝わるのが「アメノウオ伝説」です。

『その昔、雨滝の滝つぼに棲むという大アメノウオを、鵜を使って捕ろうとした2人の男がいました。鵜を放とうとすると一人の僧があらわれ、鵜を放つことを止めて欲しいと嘆願しました。2人は承諾し、お腹が空いたので粟飯の弁当を開あけ、僧にもご馳走しました。しかし、僧の姿が消えると2人は約束を破って鵜を放ったのです。すると滝壷の底から濁り水が大渦を巻き、ものすごい雷雨となったので、2人は怖くなって逃げ帰りました。翌日、滝壷には鵜と1mもの大アメノウオが死んで浮いていました。腹を裂くとなんと粟飯が入っていたのです。(アメノウオ伝説)』

滝つぼ近くまで降りられます。
 天候にも恵まれ、赤倉という土地の魅力を十二分に堪能していただくことができたようで、参加者の方にも喜んでいただけました。
 世界遺産の熊野古道以外にも、里と里、人と人を繋いだ道が各地にありました。熊野古道センターでは、そういった道や、その土地に伝わる文化や民話を紹介する「新しい古道の歩き方」をこれからも発掘していきます。

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